2014年10月3日金曜日

かぼちゃほど重たくもなし我が想い

戦時中の標語
    一足先にハロウィンが来たわけでもないが、現在我が家には今カボチャが七個もある。どれも投げつけたら人を殺せそうな重量感だ。
 カボチャを切るのには、少しく覚悟がいる。包丁を入れたなら、とっとと食べ尽くさねばカビが浮く。青菜ほどに早くはないが、切り口にラップを貼って冷蔵庫に放り込んでおいても、白い種を囲むもずくのようなところからダメになる。冷蔵庫をあけるたび、「食らわんか、食らわんか」と脅されてるような気持ちになる。
 嫌いではないがそれほど好物でもないものは、料理するにも何となく後回しになってしまう。といっても、今から冬至までとっておくのも気の長い話だ。

 一番ポピュラーなのは、やはり煮付けだろう。ただし水加減を間違えるとびしゃびしゃになってしまう。食べきれずに残すと、暖め直しはひと味もふた味も落ちる。単純な割に気を使わせる料理だ。
 簡単なのはスライサーで薄く削って、熱した油に次々落としてからっと揚げてしまうやり方だ。味などつけずとも、油の中で踊るうちにカボチャの旨味が増してきて、おかずの足りないときにちょいと添えるのにちょうどいい。おやつにもなる。ただし、これではあまり量が減らない。
 油で揚げるのなら天ぷらも良いが、カボチャだけの天ぷらというのはどうにも寂しい。
 クリームと一緒に煮溶かしてスープにするというテもあるが、甘ったるい味付けの料理はどうも苦手だ。砂糖と塩を間違えそうになって困る。実際間違えたこともある。まるで二昔前のマンガのようだが、私の無意識が甘味を嫌悪することネコが夏みかんを嫌うがごとくで、まったく自然に間違えてしまった。
南瓜とマヨネーズ
 だからパンプキン・パイなどというものは、ハナから眼中に入ってこない。たとえ我が家の調味料棚にシナモンが余っているからと言って、蒸したカボチャをくりぬいてよくならすこともなければ、炒った薄力粉にバターとクリームを用意することなどもなく、グラニュー糖はこないだ使った余りがシンクに転がってて、乾燥卵白が冷凍庫にずっと寝ているけれども、もしや作ったりなどすれば、出来上がるのはシェリー夫人のフランケンシュタインズ・モンスターか、それともコッペリウス博士の人形か、その出来上がりはアベノミクスよりも不確かなものとなるだろう。それ以前に、パイになるかどうかすら怪しい。

 とはいえ、野菜高騰の折、カボチャをいただいたのはまったくありがたい。しかも、カボチャ作りにかけては「名人」と誉れの高い方の作であるという。しかと料理して腹に収めたいと念ずる秋の夜長なのであったのだった。

どてかぼちゃ (TVガイド文庫)

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