2014年6月9日月曜日

幸福になると思っていても不幸になることはあるのに不幸になると思っているとちゃんと不幸になる

 今日は久々に雨が上がった。見上げると雲の合間に青空が見える。たまりにたまってちょっとした標高になった洗濯物を二回に分けて洗い、休暇明けの税理士のような心持ちでてきぱきと干した。陽のあたるベランダはシャツやタオルでいっぱいになり、逆に窓際は田舎の駅の待ち合いみたいに薄暗くなった。
 そして買い物に行って料理酒と豆乳とソーセージをもとめ、ネコにごはんをあげて、自分の胃袋に何かしら詰め込むと、出勤するためバスに乗った。
 すると、バスがいくらも走らないうちに、雨粒が窓に引っ掻きキズのような跡をつけ始め、たちまちバスの中は雨粒が屋根をたたく音でいっぱいになった。道路を見ると、跳ね回る雨のしずくで、道がうす白くなっている。
(はあ、よりによって、なんで今日なんだ)
 先ほどまで胸の内を満たしていた満足感は、しのつく雨にすっかり流されてしまった。
(洗濯物どうすんべえ……)

 かつて、『マーフィーの法則』というのがベストセラーになった。
 だいたいの人は知っていると思うけど、例を挙げると「梅雨の合間に洗濯をすると、かならず雨が降る」という類いのものだ。いや、有名なのは「洗車すると雨が降る」てやつだっけ。
 "If there is any way to do it wrong, he will."「失敗する要因があれば、誰かが失敗する」
 元々は上記のような考えで、エンジニアリングの安全管理なんかの思想だったようだ。機械の操作で、「まさかこんなバカなことは誰もやらないだろう」と思っていても、その「バカ」をやる可能性が1%でもあれば、誰かがそれをやってしまうのだ。そのうちそれは、「不幸なことが起こる要因があれば、必ず不幸なことになる」みたいに使われるようになった。
 それが最初に書いた、洗濯、じゃなくて洗車すると雨が降る、みたいなやつだ。
 もうちょっと気の利いたのだと、「バタートーストを落とすと、必ずバターを塗った側が下になって落ちる」というのがある。さらに付則として「その確率はカーペットの値段に比例して上がる」なんてのもある。さらにさらにそこから派生した法則として「バターネコのパラドックス」てのがあって、背中にバタートーストを括り付けたネコを落とすと、バタートーストの法則に従って背中から落ちるその瞬間にネコは回転するが、バタートーストの法則によってさらに回転して、またネコが回転して、またトーストが回転して、こうして永久運動を繰り返す、という。ここまでくると、ええかげんにせえよ、と思わなくもない。

 ↑バターネコの実験 

 しかし、考えてみると、不幸な結果を予測していると、やはり予測通り不幸になることが多いようだ。
 例えるなら、綱渡りでついつい下を見るようなものか。
 昔読んだ綱渡り芸人の話では、綱渡りの難しさは綱の高さに関係ないという。
 コツはただ、終点にわかりやすい目標を見つけること。そうしたら、その目標よりも必ず「少し上」を見ながら渡るのだという。そして、やはり絶対に足下を見てはならない。
 動物は必ず目線をおいた方に引っ張られる、というか、目線の方向にしか走れない。それは人間も同様で、どうしたって目線の向いた方に引き寄せられてしまうのだ。なので、どんなに心配だろうが足下の「不幸」を見つめてはならない。

 あ、なんか自己啓発本みたいなこと書いてるな。
 で、これを守れなければ、「マーフィーの法則」にはまっていくわけだけど、それでも不運てのは来るときには来るもんだからねえ。かといって良寛和尚みたいに「災難に遭う時節には災難に遭うがよろしく候、死ぬ時節には死ぬがよろしく候」なんて悟り澄ましてもいられないし。
 でも、末期の「マーフィーの法則」の本って、単に「気の持ちよう」みたいになってたよね。しまいにゃ、ただのトリビアな法則にされちゃってたし。
「流行した思想は、必ず本質が見失われる」
 てのはどうだろう?

 

 ちなみに、雨は十分と立たずにやんだ。


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