そして買い物に行って料理酒と豆乳とソーセージをもとめ、いったん帰宅してネコにごはんをあげて、自分の胃袋に何かしら詰め込むと、出勤するためバスに乗った。
すると、バスがいくらも走らないうちに、雨粒が窓に引っ掻きキズのような跡をつけ始め、たちまちバスの中は雨粒が屋根をたたく音でいっぱいになった。道路を見ると、跳ね回る雨のしずくで、道がうす白くなっている。
(はあ……よりによって、なんで今日なんだ)
先ほどまで胸の内を満たしていた満足感は、しのつく雨にすっかり流されてしまった。
(洗濯物どうすんべえ……)
かつて、『マーフィーの法則』というのがベストセラーになった。
だいたいの人は知っていると思うけど、例を挙げると「梅雨の合間に洗濯をすると、かならず雨が降る」という類いのものだ。いや、有名なのは「洗車すると雨が降る」てやつだっけ。
"If there is any way to do it wrong, he will."「失敗する要因があれば、誰かが失敗する」
元々は上記のような考えで、エンジニアリングの安全管理なんかの思想だったようだ。機械の操作で、「まさかこんなバカなことは誰もやらないだろう」と思っていても、その「バカ」をやる可能性が0.0001%でもあれば、誰かがそれをやってしまうのだ。そのうちそれは、「不幸なことが起こる要因があれば、必ず不幸なことになる」みたいに使われるようになった。
それが最初に書いた、洗濯、じゃなくて洗車すると雨が降る、みたいなやつだ。
もうちょっと気の利いたのだと、「バタートーストを落とすと、必ずバターを塗った側が下になって落ちる」というのがある。さらに付則として「その確率はカーペットの値段に比例して上がる」なんてのもある。さらにさらにそこから派生した法則として「バターネコのパラドックス」てのがあって、背中にバタートーストを括り付けたネコを落とすと、バタートーストの法則に従って背中から落ちるその瞬間にネコは回転するが、バタートーストの法則によってさらに回転して、またネコが回転して、またトーストが回転して、こうして永久運動を繰り返す、という。ここまでくると、ええかげんにせえよ、と思わなくもない。
↑バターネコの実験
しかし、考えてみると、不幸な結果を予測していると、やはり予測通り不幸になることが多いようだ。
例えるなら、綱渡りでついつい下を見るようなものか。
昔読んだ綱渡り芸人の話では、綱渡りの難しさは綱の高さに関係ないという。
コツはただ、終点にわかりやすい目標を見つけること。そうしたら、その目標よりも必ず「少し上」を見ながら渡るのだという。そして、やはり絶対に足下を見てはならない。
動物は必ず目線をおいた方に引っ張られる、というか、目線の方向にしか走れない。それは人間も同様で、どうしたって目線の向いた方に引き寄せられてしまうのだ。なので、どんなに心配だろうが足下の「不幸」を見つめてはならない。
あ、なんか自己啓発本みたいなこと書いてるな。
で、これを守れなければ、「マーフィーの法則」にはまっていくわけだけど、それでも不運てのは来るときには来るもんだからねえ。かといって良寛和尚みたいに「災難に遭う時節には災難に遭うがよろしく候、死ぬ時節には死ぬがよろしく候」なんて悟り澄ましてもいられないし。
でも、末期の「マーフィーの法則」の本って、単に「気の持ちよう」みたいになってたよね。しまいにゃ、ただのトリビアな法則にされちゃってたし。
「流行した思想は、必ず本質が見失われる」
てのはどうだろう?
ちなみに、雨は十分と立たずにやんだ。
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