そんなわけで、ほぼ一ヶ月前に見た映画『花影』について。以下、ネタバレは大して含まれてないけど、気になる人は気にしておいて。まあ、そんなにしょっちゅう見る機会のある映画じゃないし。
花影 (講談社文芸文庫)
映画を見て思ったのは、「やっぱり川島雄三って人は、『女』が好きなんだなあ」ということ。
「やっぱり」と言ったのは、その他の映画を見てもそう感じるからだ。この映画や『夜の肌』もそうだったけど、『洲崎パラダイス 赤信号』とか『女は二度生まれる』を見たときにも同様の感想を持った。
そして、わざわざ「女」とかぎかっこで思わせぶりにかこったのは、この監督はただ助平なだけじゃなくて、女性というものを根っこから丸ごと好きなんだ、ということが伝わってくるからだ。
映画のどの辺りで、そのように感じたりしてしまうのか? 最初のうちは不思議だったんだが、何本も見ているうちに、ふと気づいた。たぶんこれらの映画って、まったく男性向けでありながら、女性が見てもあまり嫌じゃないんじゃないか。女性が一人で見たとしても、それなりに楽しめてしまうんじゃないのか。だけど、それでいて女性に媚を売ったようなところもなく、デート向けに作られているわけでもない。
こういうのは、ちゃんと、きちんと、「女」が大好き、でないとできないと思う。
これ、女の子もへーきでAV見るようなご時世だとピンとこないかもしれないけど、当時としてはかなり進んだ感覚だったんじゃなかろうか。
そいうところは、昔本宅で書いた溝口健二と比べてみればよくわかる。こちらも女性が主人公であり、その社会での問題を鋭くえぐったりしてるけれども、女性が見たら嫌あな気持ちになるだろう。また同じことを書いてしまうけど、溝口健二は本当に「女」が嫌いなんだなあ、とよくわからされてしまう。
弟子の今村昌平は、川島雄三のそうした「女好き」な部分について、「甘い」と感じていたようだ。『洲崎パラダイス』とか、「自分だったらああは撮らない」みたいなことを、インタビューでしゃべっていた。まあ、イマヘイが撮ったら、溝口もどきが出来上がるだけのような気がしないでもないけど。
そういえば『女は二度生まれる』は若き日の若尾文子 が主演しているんだけど、川島雄三はクランクインに際して、「この映画で若尾君を『女』にしてみせます」と見えを切ったそうだ。それを聞いた若尾文子は、(あら、じゃあ、あたし、今まで何だったのかしら)と思ったとか。
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そして気になるのは、よくこんな「文学的」な作品を川島雄三に撮らせたなあ、ということ。そして、興行的にはどうだったんだろう、といういらぬ心配だ。だってこれ、へたな文芸大作よりよっぽど「文学的」に仕上がってるんだもん。
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