2014年1月25日土曜日

昔々その昔それは「科学」と呼ばれていた

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 最近有名なる合衆国の人種改良学者ポペノー氏はその大著『応用人種改良学』において、今日世界の大問題たる労働問題、即ち八時間制も最低賃金制も幼少労働の禁止も養老金を付与することも、あるいは資本問題も婦人問題、即ち婦人の教育を進め地位を向上せしむることも自由結婚も、国際連盟の思想の如き新時代の思想は、すべて人類の優種性を疎外し出産率を減少せしめ、結局人類滅亡の原因となるべしと論じ、学理の上からのみならず実際に統計数字実験の上より事実に徴してこれを力説している、女教員と結婚率及びその出産率の如きは、この主張の否認すべからざることを証する一例である。
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  また『日本民族の将来』から引用してみた。言うまでもないが仮名遣いはあらためてある。
 いやー、すごいね。とにかく、「優秀」であることが全て。「優秀」でありさえすればいいわけね。この「人種改良学」てのは、戦前結構はやったわけで、こういう優生思想てのは「科学的」だとして、かなりもてはやされていた。こうした人たちが科学者として無能だったかというと、さにあらず。この本の中でも別なページに登場する、サー・フランシス・ガルトンは人種改良学者でありつつ、指紋識別法を確立した人でもあった。
 この『日本民族の将来』においては、いかに日本民族を改良し優秀たらしめるかということが、親父の説教みたいにうんざりするほど書き連ねられている。

 こういう考え方が禄でもない結果しかもたらさないことは、半生記以上前のごたごたで誰もが思い知ったはずなんだが、今もこうした考え方のベクトルは生き残っていて、時折姿を見せるので、冬の夜道を横切るゴキブリに出くわしたときみたくぎょっとさせられる。
  いや、別に「優秀」であることが悪いわけじゃない。でも、こちとら家畜じゃあないんだから、全部が全部優秀でなくても良いんじゃないの、て話。
 だいたいこういうのって、「奴隷の思想」でしょ?
 なんか手を替え品を替え、型番商法というか、呼称詐欺というか、中味は「奴隷の思想」なのに「これこそ自由だ!」と標榜する人が、ちょこまか眼につくのにはげんなりする。しかも結構多い、というか、政治家やってたりするんだよねえ。
 しかしまあ、そこに「真理」を見出してしまう人もたくさんいる、ということもまた事実。

 断っておくけど、冒頭に引用したのと全く逆のベクトルでも、その目的が「人種の改良」にあるんなら同じことだから。一つの山を右と左から登ってるようなもの。
 改良すべきは、人種じゃなくて「生活」だよね。


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