小林秀雄 |
「ボクはね、奴隷になれる自身がある。誰よりも優秀な奴隷にね」
小林秀雄が自分自身を見つめる透徹した視線には、寒気すら覚える。
でもこんな優秀で口うるさい「奴隷」なんか、雇った方が気疲れしそうだ。
なぜこんな話から始めたかというと、日本では(と一応限定してみるけど、実は世界中のいたるところで)、「優秀」ということは、「人に使役される」ことが前提になっているからだ。
ちょっと考えればわかることだが、「学歴」というのは、常に人に「使われる」側についてまわるものだ。就職活動をする時、誰だって社長の学歴なんか気にしない。気にするのは会社の業績だけだ。学歴を気にするのは雇う側、「使う」側の方である。
しかし、それでも「学歴」はないと困る。誰だって「自分の主人は自分だけだ」と胸を張って生きられるわけじゃない。ま、こういう古くさい近代自我な語りも好きになれないけどね。
でもそんな学歴社会が官僚という奴隷をのさばらせるとどうなるかは、以前書いた通りだ。
とまあ、こんなことを考えつつも、娘の受験勉強の尻を叩く私なのではあるのである。困ったもんだね。
白洲スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”
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