フライゲデンクという偽名を使って刊行した、『音楽おけるユダヤ性』というパンフレットにはこう書き記している。
…………
想起せよ!君たちの上に重くのしかかっているものの呪いから、君たちを解放する道はただひとつだけだ。Ahasverさまよえるユダヤ人からの解放とは——滅亡だけだ
…………
なんというか、バカすぎて弁護のしようがない。溺れかけのセミだってもう少しマシな鳴き声を出すんじゃないか。
しかも妻のコジマまでもそれに同調していた。しかし、コジマはリストの娘ということばかり知られているが、母方はユダヤ人銀行家ベートマンを祖父としている。
そしてワーグナー自身はというと……
ワーグナーは七人兄弟の末っ子として生まれた。赤ん坊の時に実父が死に、母親ヨハンナはルートヴィヒ・ガイアーという男と再婚する。ガイアーは演劇好きだった亡父のご贔屓で、ザクセン宮廷俳優の称号を受けるほどの名優であった。また劇作家としても『ベツレヘムの嬰児殺し』という台本を著し、ゲーテから賞賛されるほどだった。
ワーグナーはこの継父に、実子以上に可愛がられて育った。それどころか、ガイアーこそがワーグナーの実の父親である、というゴシップがあり、ワーグナー自身もそれを信じていた節がある。
そしてこのガイアーがユダヤ系だ、という話があるのだ。
ニーチェは、ワーグナーの生前から、うすうすそのことに感づいていた、とフィッシャー=ディースカウは書いている。
ワーグナーとニーチェ (ちくま学芸文庫) |
こうした言説は浅薄な「反ユダヤ主義」に利用されやすいので気をつけなくてはならないが、ヒトラー=ユダヤ人説という否定されても否定されても浮かび上がってくる妄説よりは、多少の真実味がありそうに思える。
ワーグナーは若い頃、むしろユダヤ人たちと積極的につきあい、ユダヤの出自を隠さず堂々とふるまうアウエルバッハと親交を結んでいた。
その他友人・知己にも少なからぬユダヤ人がいた。
当時、「反ユダヤ主義」を唱えるユダヤ人もある程度いたことは、いろいろな資料からうかがえるが、ワーグナー自身がどのようなつもりだったのか、未だはっきりとはしていない。
ただ冒頭のような文章を書くくせに自分のことは平等主義だと考えているところもあって、ブッダを主人公にして階級差別を否定するオペラ『ディー・ジーガー』を構想していたそうだ。
しかし、ワーグナーの楽想に馴染まず、結局は構想だけに終わっている。
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