2015年3月15日日曜日

いつの間にやら春が来ていた?もしくは『暴力の人類史』について

暴力の人類史 下
暴力の人類史 上
「まだまだ冷えるよね〜」とこする手のひらに息を吐きかけていたら、「いやいやいや、温度計の数値を見ればとっくに春ですよ!!」と言われたような、そんな気持ちにさせられる、それが『暴力の人類史』という本だ。

 21世紀になっても世界中の国々は軍備の増強に余念がなく、ウクライナで、中東で、アフリカで、銃火はやむことがない。だがしかし、戦死者は人口比で減少し続けている。勤勉なテロリストたちが無抵抗の市民を殺傷していてもだ。さらに、世界情勢はまったく彼らテロリストたちの思う通りにはなっていない。
 毎日のように殺人のニュースがマスメディアを騒がせ、アメリカじゃ節分みたいに銃を乱射する輩が毎年登場する。だがしかし、殺人の被害者は年々減少し続けている。
 それだけではない。死刑になる犯罪者も減り、死刑制度を持つ国は最早少数派だ。制度があっても数十年執行されてない国もある。
 どんなことをしても減ることがないと思われた犯罪そのものが減少しだして、『ヤバい経済学』なんかでは「堕胎が合法化されたんで犯罪が抑制されたんだよ」なんて言ってたけど、その堕胎すらもぐんぐん減少している。でも犯罪がそれにつれて増えるということもない。
 いったいこれはどうしたことか。リアリストを名乗る保守の方々が高らかに「正論」とやらをぶちあげ勝利宣言する中、理想を掲げるものたちは「それでも希望を捨てない」と唇を噛みしめていた多くの分野において、人類はその「理想」、ともすると「青臭い夢」「青少年が一度はかかる病気」「カルト宗教まがい」「お花畑」などと揶揄されるその領域へと、着実に近づいていたのだ。
 現在、我々は歴史上最も暴力の少ない時代を生きている!!
 ……マジで?

 とにかくこの本、やたらイスラムのことをあげつらう割にはイスラエルについての記述は控えめとか、二十世紀の大量殺戮をヒトラーやスターリンや毛沢東の個人的性格に帰せしめているところとか、怪しげな脳科学の話が数十ページあったりとか、わかりやすく鼻につく部分はあるんだけれど、問題はそこにはないような気がする。
 とにもかくにも「暴力」ってなんだろう?

しかし我らはダハウでひとつの答を得た
鍛えられし鋼の如く
男らしくあれ、友よ
人間たれ、友よ
仕事をやり遂げるんだ、さあ、友よ
そう労働、労働こそが我らを自由にするのだから!
Doch wir haben die Lösung von Dachau gelernt,
Und wurden stahlhart dabei.
Sei ein Mann, Kamerad,
Bleib ein Mensch, Kamerad,
Mach ganze Arbeit, Pack an, Kamerad;
Dem Arbeit, denn Arbeit macht frei!

 これはダハウの収容所でユダヤ人たちが歌ったものの一部だ。別にナチが歌えと強制したのではなく、ゾイファーSoyferという収容されたユダヤ人が作り、収容所で歌い継がれたのだという。
 歌の中の"Arbeit macht frei"てのは、収容所の入口に掲げられていた看板文句で、ダハウのもアウシュビッツのも近年その看板そのものが盗難にあったりしている。
「労働は自由をもたらす」
 果たしてユダヤ人たちはその「自由」を信じていただろうか。
 しかし、多くのドイツ人たちは、ナチ政権下でも「自由」を感じていた。
 ドイツだけではない、戦前の日本もそうだし、その他の独裁政権下でも「自由」を感じていた人は多い。
 なぜなら「暴力」を外部へと打ち出す社会において、その内部における「暴力」は極端に少なくなるからだ。少なくなる、というより、巧妙に隠されるようになる、と言った方がいいか。

 暴力が減少している、と言われてもそのまま祝うことができないのは、こうしたことを知っているからだ。
 とてつもない暴力にさらされたユダヤ人たちですら、自分自身を歌でごまかし、自らの耳を塞いでいた。 
 我々もまた、ダハウの歌 Dachaulied を、知らず知らずのうちに口ずさむことにはならないだろうか?

 そんなわけで、次回からちょっと「暴力」について、非力ながら書いてみたいと思う。



 

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