今村仁司、貨幣とは何だろうか (ちくま新書) |
それは初めのうち、シャープペンですい、すい、と軽く線が引かれていて、そのうち線が段々に濃くなり、それにつれて線引きした文に矢印で?マークをつけるようになってきた。
やがてページにいくつもの「?」が飛び交い、そのうち余白に「この本を書いたやつは頭がおかしい」と書かれ、そこから先は読んだ形跡がなかった。
分野は違えど大学教授である。何が彼をそこまで惑わせたのだろう?
今村仁司、暴力のオントロギー |
じゃあこのオントロギーを読めば全部わかるかっていうと、そうは問屋がオロオロしてくれないんで、これまた一層困るんだよね。
オントロギーOntologieてのは、「存在論」ということ。今村仁司はこれの他に『儀礼のオントロギー』と『労働のオントロギー』を書いている。それぞれに関わりがないわけでもないんだけど、こっちまで拡げると収拾のつかないことになりそうなんで、今回はこれだけってことで。だいたいこのエントリーだって、『暴力の人類史』に引っかかって、「暴力」について考えをまとめようとして書き出したんだから。
暴力と聖なるもの (叢書・ウニベルシタス) |
『暴力のオントロギー』の特徴は、暴力を貨幣と、さらには経済と結びつけた点にある。
冒頭においてレヴィ=ストロースを援用し、その記述からこのような文言を引いてみせる。
…………
「商業交換は、平和的に決着を付けられた潜在的戦争を表現し、戦争は不成功に終った取引の結末である」
…………
これはレヴィ=ストロースの『アスディワル武勲詩』や『親族の基本構造』において見受けられる記述であるという。
貨幣というものは「暴力」と密接に関わっており、それは「第三項排除」と今村仁司が呼ぶものによって形成される。
貨幣とは交換される双方の「モノ」によって排除された「第三項」であり、モノたち(商品)の王ではなく彼らの奴隷である。
しかし、モノが交換されるには第三項排除が必要とされ、貨幣は……
……とっとっと、この辺にしておこう。「頭がおかしい」やつになってしまいそうだ。ちょっと仕切り直しということで、また次回に。
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