2015年3月25日水曜日

人を殴ると心も身体もぽかぽかするよね?もしくは『暴力のオントロギー」についてのもろもろ

今村仁司、貨幣とは何だろうか
 (ちくま新書)
 古本で買取をすると、本に書き入れがされていることが間々ある。某大学教授が整理した蔵書に、今村仁司の『貨幣とは何だろうか』という新書があった。その前半部に、おそらくは教授自身の手になると思われる書き入れがなされていた。
 それは初めのうち、シャープペンですい、すい、と軽く線が引かれていて、そのうち線が段々に濃くなり、それにつれて線引きした文に矢印で?マークをつけるようになってきた。
 やがてページにいくつもの「?」が飛び交い、そのうち余白に「この本を書いたやつは頭がおかしい」と書かれ、そこから先は読んだ形跡がなかった。
 分野は違えど大学教授である。何が彼をそこまで惑わせたのだろう?



今村仁司、暴力のオントロギー
 まあ、新書という体裁が勘違いの元だったと思うけど、『貨幣——』はそれを読んだだけではよくわからない本なのだ。それを読む前に『暴力のオントロギー』を読んでおく必要がある。新書で触れられてるジンメルの『貨幣の哲学』もいいけど、そっちに行くとさらに困惑することになったりする。
 じゃあこのオントロギーを読めば全部わかるかっていうと、そうは問屋がオロオロしてくれないんで、これまた一層困るんだよね。
 オントロギーOntologieてのは、「存在論」ということ。今村仁司はこれの他に『儀礼のオントロギー』と『労働のオントロギー』を書いている。それぞれに関わりがないわけでもないんだけど、こっちまで拡げると収拾のつかないことになりそうなんで、今回はこれだけってことで。だいたいこのエントリーだって、『暴力の人類史』に引っかかって、「暴力」について考えをまとめようとして書き出したんだから。

暴力と聖なるもの 
(叢書・ウニベルシタス)
     この本は所謂「暴力」について考察する書物、という体裁になっているけれど、「暴力」そのものに関してはルネ・ジラールの『暴力と聖なるもの』の域を出ていない。
暴力のオントロギー』の特徴は、暴力を貨幣と、さらには経済と結びつけた点にある。
 冒頭においてレヴィ=ストロースを援用し、その記述からこのような文言を引いてみせる。
…………
「商業交換は、平和的に決着を付けられた潜在的戦争を表現し、戦争は不成功に終った取引の結末である」
…………
 これはレヴィ=ストロースの『アスディワル武勲詩』や『親族の基本構造』において見受けられる記述であるという。
 貨幣というものは「暴力」と密接に関わっており、それは「第三項排除」と今村仁司が呼ぶものによって形成される。
 貨幣とは交換される双方の「モノ」によって排除された「第三項」であり、モノたち(商品)の王ではなく彼らの奴隷である。
 しかし、モノが交換されるには第三項排除が必要とされ、貨幣は……

 ……とっとっと、この辺にしておこう。「頭がおかしい」やつになってしまいそうだ。ちょっと仕切り直しということで、また次回に


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