2014年2月3日月曜日

春という季節は変わらないものが世界を変えようと蠢き出すのだった

    私がまだ小学生だった頃、子供たちの間でライダーカードを集めるのが大流行りした。知らない若者のために一応書いておくと、左画像の仮面ライダースナックに、ライダーや怪人たちのカードがオマケに付いていたのだ。栗本慎一郎が広告会社にいたころ企画した、と自分で書いていたが傍証がないのでわからない。とにかくそいつを冬ごもり前のキツネザルのように貯め込むのが、小学生たちの「正義」になっていた。
 ところが、このブームがある問題を引き起こした。
 カードだけ抜いて、本体のスナックを捨てる子供が続出したのだ。子供にしてみりゃ当たりまえの話で、ガキにとってはカードが本体でスナックの方がオマケなのだ。中には箱ごと買ってカードだけ抜いて、残りは捨てた剛の者までいた。

 さて、こんなやくたいもない思い出話を始めたのは、別に「食べ物を大事に」とか言いたいわけじゃない。
 ここに欲望の「ズレ」の問題がわかりやすくあらわれているからだ。
 すごい簡単であたりまえでいちいち言わんでもなことを言うと、「カードではおなかいっぱいにならない」てことだ。
「おなかいっぱい」てのはどういうことかというと、欲望する主体が満足する、ということではなくて、空腹という欠落を埋める、ということでもなくて、主体が変容して欲望が変化(解消)していくということだ。
 しかし、「カードではおなかいっぱいにならない」
 てことは、主体は変容しない。主体が変容しない場合、 欲望はそのまんまだ。
 なので、カードはいくらでも欲しいけど、スナックはそんなにたくさんいらない。むしろ不要なので捨てる、ってわけ。

 よく「人間の欲望は果てしない」というけど、それは主体が変容しない場合に限る。欲望の本来的な目的は主体の変容にあるんだけど、主体がその変容を拒絶した場合、欲望は外世界のみを変容させようとする。そして人間はそれこそが「欲望」であるとして、自然的な欲望の方は「本能」と名付けて区別した。
 外世界のみを変容させようとする欲望は、世界に対して破壊的であることが多く、大勢の哲学者や思想家や宗教家がそれにブレーキをかけようとしたけど、焼け石に水だったのは現状を見れば分かる。だって、「お金」ってライダーカードと同じく、「おなかいっぱいにならない」でしょ。
 そんなわけで人類は自然を破壊し、国家は共同体を解体し、男は女に処女願望を抱くようになった。主体を傷つける可能性のあるものは、主体に都合良く変質させるのが「欲望」のあり方になったからだ。
 そんなふうになったのはいつ頃からなのかぼんやりしてるけど、アクセルを踏み込んだ人ならわかってる。「我思う、故に我あり」のデカルト様だ。近代的主体というものが、絶対に揺るがぬものとして現れた時、欲望もまた大きく変質した。
 助平な男を「変質」者とはよく言ったもので、欲望による主体の変容を拒否するため、 変質者の欲望は対象である女性に対して破壊的であると同時に、自分の主体をいささかも傷つけないように処女を求めたりするんだよね。なので、変態と純潔が一人の人間の中に同居してても全く不思議ではないし、むしろ主体の変容を拒絶するタイプの国家(独裁的なやつね)や宗教(カルト)にとっては都合が良かったりする。
 しかしまあ、主体を変容させない欲望がおおむね反倫理的(ときには反社会的)である、ということは自明のこととされているので、人間すべてに性欲があると認識されつつも、「助平」は罵倒語となりうるわけだ。

 てなわけで、主体を変容することを拒絶する近代において、変質者はうろつきまわり、ファシズムに憧れるアホが声を張り上げ、人類は原発を増やすべきだと唱えたりするのだった。
 がしかし、ここでちゃぶ台をひっくり返しちゃうと、「主体」なんて元々存在しなかったりするんだよね……

 で、次回に続く


ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念

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