「教育とは、学校を卒業した後に残っている何かのことである」
確か中学生くらいのころ教養文庫の『格言の花束』で読んだセリフだ。記憶だけで書いてるので、おそらく不正確だし誰が言ったのかもわからない。まあ、言ってることの主旨は誤っていない自信があるので、このまま話を進めてしまおう。
格言の花束 (現代教養文庫ライブラリー)
しかし、今の、というか、ずっと以前からだと思うけど、学校教育ってのは、まるで子供に何も残さないように、 授業の内容は全て忘れるように、しむけているかのように思える。
まず、学校の先生の定番セリフ。
「はい、ここ試験に出るよー!」
このセリフを最初に耳にしたのは中学一年の春だったが、そのときの違和感は今もよく憶えている。
(試験に出えせんかったら、習わんでもええんか?)
つい名古屋弁で書いてしまったが、中一までは名古屋に住んでいたので心の声も名古屋弁になるのだ。
つまりは、勉強って試験のためにしてるんじゃないんじゃないんじゃないのかなかな?という、中学生なりの素朴な疑問というやつである。やっぱいちおう「義務」で教育受けさせられてるわけだけど、それはちょっと違うんじゃないの、という素直な感覚があったのだ。
「はい、ここ試験に出るよー!」
これって、暗に先生が「試験が終わったら忘れてもいいよー」って言ってんのと同じだと思うんだが。
そして、とっても素直な十代の青い果実たちは、普段先生のことを影で「ザビエル特急」なんてアダ名で呼んでるくせに、こういうことだけはちゃんと言うこと聞くんだよね。
そんでもって社会に出ると、「あ〜〜、なんでもっとオレは勉強しとかなかったんだ〜〜!!」と、見よう見まねでブレイクダンスを踊ってるみたいに頭抱えて転げ回ることになる。
そういえば、「こんな紙切れ一枚で、俺の人生を決められてたまるか!」なんていう青春真っ盛りな定番文句もあったっけ。でも、大人になると紙切れに人生が左右されることが多い多い。はー、またそろそろ確定申告だなあ……
以上、娘の受験勉強を手伝っててなんとなく感じたこと。
なんかさ、「試験のための勉強」だと勉強をまるで「損すること」みたいに捕えてんだよね。 なので、受験が終っても忘れたりしないように、「将来小説を書くんなら絶対に必要だから憶えろ!」とか「将来自分の子供に勉強を教えるくらいのつもりで憶えろ!」と口を酸っぱくして言う私なのであった。効果あったらいいけど。
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