2014年5月9日金曜日

将棋はどのへんまで「自由」なのか?

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 将棋で名人というのはどのくらい「強い」のだろう?
 先月の名人戦第一局はしびれた。
 加藤一二三こと「ひふみん」がおっしゃるには、「千局に一局」の珍しい形だそうだ。
 棋譜だけ見てると、一見子供同士で遊んでいるかのような感覚がある。なんというか、ボクシングのチャンピオン戦で、お互いの選手が突然「必殺ぐるぐるぱーんち!!」とやりだしたような、そういう感じ。それでいてパンチの一つ一つは、そのスピードや回転のタイミングが計算し尽くされているのだ。なにこれ面白すぎ(笑)


 将棋というものは、まあチェスもそうなんだけど、割と「不自由な」なゲームだ。
 各駒にできることはこの上なく限られていて、大駒といえどもその動きを「自由」と呼ぶにはほど遠い。
 将棋に「強く」なる、というのは、不自由な将棋という世界の中で「自由」を獲得する、ということだ。今回の名人戦の「ぐるぐるばんち」を見て、改めてその思いを強くした。
 今日本で一番「自由」な人が「名人」であり、深く思考することがどれだけ人を「自由」にするか、ということが今まさに実演されている、それが「名人戦」と呼ばれるものである、というわけだ。

 さて、今回の名人戦は特別面白いわけだけど、こんなに面白くなったのには、コンピューターのおかげがあると思う。
 羽生がパソコンで棋譜を整理してるとかいう古い話じゃなくて、ここのところプロ棋士が将棋のコンピューターソフトに負けるようになってきた、ということが関わってくる。
 ただとにかく勝てばいい、ということなら一秒間に何億回も計算するコンピューターにだってできる。しかし、コンピューターに今回の名人戦のような「面白い」棋譜を期待することは当分無理だろう。
 なぜなら、コンピューターは「不自由」だから。

 チューリングマシンを持ち出すまでもなく、コンピューターは「考える」ことができない。なんでそれがわかるかというと、コンピューターは「考える」ことによって「自由」を獲得する、ということができないからだ。
 だから、なんで将棋ソフトにプロ棋士が負けるのが「重大ニュース」なのかというと、「自由」に勝る「不自由」がそこに立ち現れたように感じられる、ということがある。なんか、「人間がどんなに走ってもF1カーにかなわないのといっしょ」みたいなことをしたり顔で口にする人もいるみたいだけど、そいうのとはぜんぜん問題のアスペクトが違うのだ。
 つまり、コンピューターソフトの発達によって、人間は改めて「自由」について考える必要がでてきて、その答えの一つが今回の名人戦にあるように思う。

 そんなわけで、またぞろ「自由」についてちょこちょこ考えてみたい。今回は経済抜きで。
 では次回に続く。あとPart.2にも続く。ややこしくてすいません。

ボナンザVS勝負脳 ――最強将棋ソフトは人間を超えるか (角川oneテーマ21)

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