2014年5月21日水曜日

「私は全力を尽くした。できるものならやってみるがいい」Feci, quod potui, faciant meliora potentes.と川島雄三が言ったわけではないが


 妻が、というか、当時はまだ妻ではなかったが、フリーライターとして駆け出したころ、よく「テープ起こし」の仕事もしていた。録音されたインタビューの内容を、そのまま文字に起こすというやつである。一応若い人に説明しておくと、「テープ」というのは、当時はカセットテープで録音するのが主流だったからだ。妻はカセットレコーダーをジャン・ヴァルジャンの馬のごとく、次々に使いつぶしたものだった。
 その「テープ起こし」でさんざん苦労したのが、上掲の「人は大切なことも忘れてしまうから」である。なんせこのときまで、妻の日本映画に関する知識ときたら、野球について語る黒柳徹子とどっこいだったんだから。ねえ知ってる?黒柳徹子は「ホームランを打て!」ってサインがあると思ってたんだよ。
 私とてほめられたものではなかったが、一応フィルダースチョイスやインフィールドフライが何か、程度のことはわかっていたので、ずいぶんと協力した。しかしこの辺りのことをあんまり書くと、あとでケツの穴を増やすことになりかねないので、とりあえずおしまい。まあでも、前書きで山田太一が、一言だけ妻に謝意を述べているので、苦労も少しは報われたかもしれない。
 しかしこの仕事を手伝ったことは金銭的な利益は0だったが、望外の「財産」を得ることができた。川島雄三というそれまでエピソードでしか知らなかった映画監督について、より立体的に知ることができたのだ。あ、それと、妻と結婚したっけ。

監督川島雄三 松竹時代
 さて、現在池袋の新文芸座で川島雄三特集が興行中だ(二十二日まで)。没後五十年記念とのことである。
 昨日は店の定休日を利用して、『「赤坂の姉妹」より 夜の肌』と『花影』を見に行った。川島雄三の作品はほとんど見ているはずだったのだが、この二作品は未見だったのだ。
 で、昨日はひどく後悔した。「なぜもっと早く見ておかなかったのか」、と。
 特に『夜の肌』の方。タイトルが退屈そうなので、ついつい見はぐっていたのだ。

『夜の肌』は芥川賞作家・由起しげ子 の「赤坂の姉妹」を原作としている。原作は未読だが、おそらくかなり改変されているはずだ。『貸間あり』もそうだが、川島雄三は原作のまとう「空気」をすっかり入れかえてしまう。
 今回のエントリーのタイトル、「私は全力を尽くした。できるものならやってみるがいい」Feci, quod potui, faciant meliora potentes.、てのは、映画のラストの決め台詞である。ラテン語を添えておいたのは、最初は主人公の末の妹がラテン語でこれをくちづさむからだ。その時は何の注釈もないので、何を言ってるのかさっぱり分からない。元々はチェホフの『三人姉妹』の第一幕で、クルイギンが口にする台詞である。
 映画のストーリーは、赤坂で小さなバーを経営する夏生、フランキー堺演ずる軽薄男に恋する秋江、学生運動の闘士冬子の三姉妹の人生がからみ、夏生が保守系大物議員の愛人として赤坂に大きな店を構えるに至るまでの細腕繁盛記、というわけでもあるんだけどそれだけでもない、川島雄三流の「重喜劇」というやつだろうか。喜劇は喜劇だが、どっか重ったい話でもある。

 とにかく、ストーリーのテンポが小気味よいのはもちろんだが、三人三様のエピソードの絡ませ方の上手さに舌を巻く。しかも細かな演出がこれでもかも盛り込まれ、それぞれに興味深く、それがまた嫌みになっていない。ほんと、「粋」てのは、こういうのを言うんだよねえ。
 こういう映画作り、いやドラマでもいいけど、それができる人は今どれだけいるだろう。申し訳ないが、私の脳裏にはまったく浮かばない。そういえば、カンヌで二度目のパルムドールをとった今村昌平の『うなぎ』は、似たようなことをしようとして失敗していた。今村昌平は「できれば撮り直したかったのだが」と受賞後にぶつぶつ言ってたっけ。でも失敗したからこそ、パルムドールがとれたようにも思えるが。知らない人に断っておくと、今村昌平は川島雄三の弟子、というか、やたら師匠を悪くいう弟子である。やれやれ。

 それと、改めて感じたのだが、川島雄三の映画は「カメラが軽い」
 存在感がないというのではなく、見ている側はちょくちょくその存在に気づかされるが、重さが感じられないので気にならない、という感じだ。
 これ、意図してやってるのか、センスで自然にやれてしまっているのか、ちょっと分からないのだが……
 生前川島雄三はコンパクトカメラが好きで、どこでも持ち歩いて写真を撮っていたそうだが、もし現代に生まれていたら、さぞや大量のビデオ作品をものにしたことだろう。
 そう、なんだか、映画撮影用のバカでかいカメラで撮っているのではなく、御家庭用ビデオカメラでの作品を見ているような、不思議な気分になるのだ。
 おそらくはその辺が、川島雄三の古びない魅力の一つであり、カワシマクラブという集団が今もニュープリントを作り続けている、ということの動機になっているのではなかろうか。

 いっしょに見た『花影』の感想は、いずれまた機会があれば。こちらの方に。
 

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