あの日 小保方晴子 |
で、このSTAP細胞の騒動に紛れて目立たなくなっているが、この発見は最初「ネイチャー」という権威ある学術誌にきちんと掲載された、という問題がある。
この雑誌はけっこう敷居が高くて、「ネイチャーに載った」というだけで信用してしまった人も多いと思う。思うというか、かくいう私もその一人だ。ちなみに、日本人が「ネイチャー」に掲載された回数ってのは、今もって南方熊楠が最高だったりする。
「ネイチャー」もきちんと査読していたはずだが、それでも偽論文を掲載してしまった。ではこれで「ネイチャー」とそれに掲載される論文に疑問符がつくことになっただろうか?
全然そんなことはなかったわけで、むしろ日本の科学研究の方が面目を失う次第となった。
それは明らかに「STAP細胞」の側に詐欺の動機があったからである。では、明らかに「科学」を嘲弄する動機を持った論文ならどうだろう。科学的におかしいのだから、権威ある学術誌はそれを苦もなくはねつけるだろうか?
ボグダノフ兄弟
イゴール・ボグダノフとグリシュカ・ボグダノフという双子の兄弟が、応用物理学の論文をいくつか発表し、権威ある学術誌に掲載されはしたが、それは科学としての物理学、もしくは科学誌の権威を嘲弄することを目的としたものだった……のではないかという「事件」である。
中でも問題とされたのは、CQG(Classical and Quantum Glavity)誌に掲載されたTopological Theory of the Initial Singularity of Spacetime(宇宙開闢時のシンギュラリティにおけるトポロジー理論)というものだ。
うーん、シンギュラリティか。シンギュラリティ(特異点)といえば、元々はちゃんとした科学用語であるはずなんだけど、スパコン詐欺事件のおっさんのせいですっかりうさん臭い単語になった。
こういう科学用語の「誤用」について、とりわけ「ポストモダン」と呼ばれた思想方面に対し、ちょいと昔にある科学者がドッキリな罠を仕掛けて大騒ぎになったことがある。いわゆる「ソーカル事件」である。
「知」の欺瞞― ポストモダン思想における 科学の濫用 (岩波現代文庫) |
そして、先に述べた「ボグダノフ事件」は、「逆ソーカル事件」ではないか、と騒がれた。
つまり、物理学っぽいデタラメ論文をわざと投稿して、逆に「科学」というか「理論物理学」を嘲弄しようとしたんじゃねえの?、ということだ。
さて、こうした騒動から見えて来るのは、多くの人たちが「理論物理学」や「ポストモダン思想」というものを、超難解であるがゆえに「うさんくさい」と感じている、ということである。
さらに、この二つとも、現実社会ではあまり用がないので、たとえでたらめが繰り広げられていても、すぐにはわからないように思われている。それは一般人だけでなく、大学の研究者ですら、自分の専門外であれば「うさんくさい」と思っている、ということだ。
そしてそれは、その分野が「科学的」であるか否かではなく、明晰でわかりやすいかどうかで区別されてしまうのだ。
ちなみに、ソーカル事件はドッキリネタとしてはよくできてるけど、肝心の『知の欺瞞』を読むと、「単なる揚げ足取りではない」と言いつつやってることは揚げ足取りばかり、という内容でがっかりさせられてしまう。ポパーについての解釈がおかしいのは致命的だ。
イタズラで作った論文も程度が低く、なんでこれが掲載されたかについては著者が種明かししているが、とにかく先人たちを論文で褒めまくったことによる。ヨイショに弱いのは、偉い学者さんとて同じなのだ。
科学はウソを見破れない。
なので、科学者が「それは間違いだ」ではなく「それはウソだ」と言いたい時、わざと自分がウソつきになってその「意志」を明らかにするしかない。
逆に、その意志を巧妙に隠しておくことができれば、科学者はずっとウソをついていてもそれを指弾されることがない。
それっぽいだけウソの論文を生産することで、なんとか食べている科学者だって存在するのだ。UFOよりは確実に。
ボグダノフ事件もソーカル事件も、そしてSTAP細胞事件も、科学というもののウソに対する脆弱性、さらにはウソに対する「親和性」があることを逆説的に示している。
「科学者」がウソをついた時、それを「科学」で見破れないなら、その困難をどのように克服したらいいんだろう?
「メルトダウンは、ありえましぇええん」とかあったよな。
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