2016年8月27日土曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の研究なら日本は超先進国だったりするの続き編】

前回の続き。

ハイデガー、現象学の根本問題
(木田元監訳)
 それでは、「世界・内・存在」は木田元のいう通り、シェーラーからのイタダキだろうか。
 と、即座に断ずるのも大人気ない気がする。シェーラーはフッサールの元を破門されてからも、ハイデガーとはちょくちょく会って話していたということだが、こちらも言葉の上っ面をちょいと拝借しただけではなかろうか。そして、ハイデガーがいざ論文を書く段になって、シェーラーとの混同を避けようと、独訳『茶の本』から別の「上っ面」を拝借したのではないのか。
 ここから見えるのは、ハイデガーが「世界・内・存在」について、それほど難解なことを考えていたわけではない、ということである。

 さてさて話を戻して、『言葉についての対話』には、このようなことも書かれている。
…………
日本人 当時、一九二一年だったと思いますが、我が国の教授たちは、あなたのところで講義を聴きました。教授たちは筆記録を日本に持ち帰りましてね。私の勘違いでなければ、表題は「表現と現象Ausdruck und Erscheinung」となっていました。
…………
 この「表現と現象」について、全集版の『言葉についての対話より』((ハイデッガー全集第12巻『言葉への途上』収録)において、
…………
正しくは: 『直観と表現の現象学』(Phänomenologie der Anschauung und des Ausdrucks)一九二〇年
…………
だとしている。
 この本については、ハイデッガー全集の59巻があてられている。平凡社ライブラリー版の方には、一九九三年に刊行されたと注記されているが、現在では入手不可能というか、国会図書館を検索しても出てこないし、もちろんネットにも情報がない。どうなっとんじゃ。
 まあ、創文社は二〇二〇年をめどに解散しちゃうそうだけどね。あとは野となれか、それともできるだけ刊行してくれるのか。
 それにしても、本国ドイツのハイデガー全集も日本での需要があるからこそ、公的な補助なしに刊行を続けてきたとういうのに、これからどうなるんだろうか。
  また話を戻して、さらに『言葉についての対話』の注から引用してみよう。
…………
……すでに二一年から二二年の冬学期には山内得立ら何名かの日本人留学生がフライブルクでハイデガーを聴講したとなっている。このうちの誰かが、自分たちが直接には聴講しなかった前年の講義の筆記録をドイツ人学生から借りて筆写したということは十分に考えられる。
…………
 この筆記録について、ハイデガー(ここでは「問う人」)は本文でこのように語る。
…………
問う人 いずれにせよそれが講義の主題でした。ただ、九鬼教授がマールブルクの私のところへやってこられたのには、また特段の理由がいくつかあったにちがいありません。
…………
 この「対話」においては、冒頭から九鬼周造の名が出てくる。九鬼がハイデガーの元にいたのは一年に満たなかったようだが、ハイデガーは数年いたかのように勘違いしている。また、ハイデガーに影響されて書いた『「いき」の構造』についても語られている。
 その九鬼周造がハイデガーに会おうというきっかけの一つに、「表現と現象」(「直観と表現の現象学」)があったかのようである。
 しかし、『言葉についての対話』の注ではこうなっている。
…………
……九鬼は帰国後の一九三三年、「実存の哲学の一例、ハイデッガーの哲学」と題するかなり詳しい概説を発表し、またそれに先立って三一年から翌年にかけて京都帝國大学文学部で「Heideggerの現象学的存在論」と題する講義を行い、そのノートが『九鬼周造全集』第十巻に収録されているが、そのいずれにも、この二〇年のハイデガーの講義への言及は見当たらない。特に、前者では二七年の夏学期の講義「現象学の根本問題」のノートが引かれていながら、それ以外の講義については言及されていないことを考えると、九鬼がその時点で「現象学の根本問題」以外の講義の筆記録を閲読していたかどうかはいくぶん疑問である。
…………

 ここで『現象学の根本問題』というタイトルが出てきた。
 これがまた重要なポイントなのだ。もちろん、ハイデガー研究において。

 次回に続く。

今道友信「ハイデガー講義」

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