
あれはそう、娘が小学校に上がったばかりのことだった。
ちょっと風邪をひいた娘を病院に連れて行った。そこの小児科の待合室には、大きなホワイトボードがあって、治療を待つ子供達が勝手に落書きして暇を潰せるようになっていた。
私が手持ち無沙汰に文庫本に目を落としていると、「パパ、パパ」と病気にしては元気な娘の呼び声が聞こえた。「見て見て!」
なんだ?、と顔を上げると、ホワイトボードいっぱいに幼い字でこう書かれてあった。
「ぱぱ そんざいってなに」
一点の曇りもない実話である。これだから子供というやつは油断ならない。
私は何と言って説明しただろう?
「えーと、イスがあるとか、机があるとか、いろんなものが『ある』ってことだよ」
なんとも残念な説明である。しかし、小学校に上がったばかりの子供に、「存在」について説明できる術があるだろうか?
いや、いい大人に向けてでも無理だろう。
ハイデガーだって失敗してるのに。