2016年6月30日木曜日
2016年6月25日土曜日
2016年6月21日火曜日
2016年6月18日土曜日
2016年6月16日木曜日
2016年6月13日月曜日
2016年6月10日金曜日
それを無理に歴史と呼ばなくてもいいんじゃないだろうか。
私は隣人たちから嫌われている。
みんながもう忘れてもいい時期じゃないかと思うことについて語りたがるからだ。
(ハインリヒ・ベル)
経験と歴史から学びうることは、人民も政府も歴史から学んだりしないこと、そして歴史から得た教訓を生かしたことなど全然無い、ということだ。(ヘーゲル『歴史哲学講義』)
みんながもう忘れてもいい時期じゃないかと思うことについて語りたがるからだ。
(ハインリヒ・ベル)
経験と歴史から学びうることは、人民も政府も歴史から学んだりしないこと、そして歴史から得た教訓を生かしたことなど全然無い、ということだ。(ヘーゲル『歴史哲学講義』)
2016年6月8日水曜日
2016年6月6日月曜日
宮沢賢治『春と修羅』の「春」はどこからくるのか もしくは勅使川原三郎『春と修羅』について
春と修羅 (愛蔵版詩集シリーズ) |
しなかっただろう。盆踊りくらいはしたかもしれないが。若い頃の賢治を知る人は、賢治は音楽好きだが音痴だったと証言している。これはずいぶん親近感を覚える話である。
『春と修羅』の中に、「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」という詩があって、これは岩手県江刺市の原体というところに伝わる念仏踊りに取材したものだ。踊り手は伝統的に皆少年である。
勅使川原三郎はずいぶん前に(と言っても、個人的にはほんのこのあいだのことに思えるのだが)『Dah‐dah‐sko‐dah‐dah』という、この賢治の詩を題材にしたダンスを踊ったことがある。
舞台を見たのはもちろんだが、それから少し経ってNHKの番組でこの剣舞についての番組があり、今は亡き大滝秀治の朗読をバックにどこかの草原で勅使川原三郎が踊っている映像が流れたことがある。今思うとビデオに撮っておけばよかった、と悔やまれてならない。