昔々、とある村に一人の少年がいました。少年は村の外から来たお金持ちの旦那様の元で働いていました。
ある日、隣の村へパンとお菓子を十個づつ届けるように言いつかりました。少年は隣の村へ行く途中とてもお腹がすいたので、パンとお菓子を半分食べてしまいました。そして、素知らぬフリをしてパンとお菓子を五個づつ届けました。
次の日、少年はまた同じお使いを頼まれました。ただ今回は手紙もいっしょに届けるように言われました。少年はまた途中でお腹がすいて半分食べてしまいました。そしてまた同じように知らんぷりして届けると、手紙を読んだ先方が「半分食べたな!」と怒りだし、少年を折檻しました。
その次の週、少年は同じくお使いに行かされました。今回も手紙付きです。少年は頭が良かったので、この間の失敗は手紙のせいだと気づいていました。きっと手紙が少年の盗み食いを見ていて言いつけたのに違いない、と。少年は手紙を石の下に隠してこっちを見られないようにしてから、ゆっくりパンとお菓子をぱくつきました。
上の話は子供の頃学習雑誌で読んだものだ。こんなコロニアルな話も、昔は平気で子供向けの本に載っていたのである。
呪の思想 (平凡社ライブラリー) |
プーチンの筆記体 |
だからこそ手紙は常にその存在において、「秘密」というロマンを抱え持っている。
そしてその秘密は、往々にして他人を圧するための力、「権力」へと変貌する。
我々が「暗号」というものに触れる時に感じるワクワクも、またそれと同じ根元を有するものだ。
暗号解読者のことを英語でcodebreakerと呼ぶ。2011年にそのタイトルでTV向け映画がイギリスで作られたので、今回この映画は別なタイトルになったのだろう。
まあそれはともかく、コードブレイカーcodebreakerのコードcodeとは、この場合「暗号」のことだ。
チューリングはナチスが仲間に送る「手紙」を、そこに記されてある「暗号」を、読み解くことに成功する。
三十年ほど前、構造主義的記号論において、文字(いや、ここはシーニュと言った方が正確か?)をコードの振る舞いとしてとらえることが流行った。文字というものの持つコード(暗号)的な部分によって、文字を使う者が他を支配し、そこに権力が発生することをつきとめるためだ。
実際ナチスは強力なエニグマ暗号を使って、どんどん他の国を支配下に収めていった。その時他のヨーロッパ諸国は、手紙の読めない少年と大差ない存在だったのだ。
暗号は絶大な権力を形成する。ただし、それが解読された時、その力は決定的に失われる。
チューリングも自身に「暗号」を持っていた。自らのホモセクシュアリティという暗号だ。同性愛が犯罪とされた当時のイギリスにおいて、それは絶対に解読されてはならないものだった。
しかし、チューリングはその「暗号」を渡す相手をとうに喪っていた。
最期、チューリングは自殺する。青酸カリを注射したリンゴをかじったのだ。
しかし現在、2013年のクリスマス・イヴにおいて、チューリングの名誉回復が正式に決定された。
以下余談。
あと余計なことですが、チューリングはテレパシーの存在を信じていて、有名なチューリング・テストに影響が出ないように心配したりしてたそうです。
B・ジャック・コープランド、チューリング |
現代思想2012年11月臨時増刊号 総特集=チューリング |
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