2014年10月31日金曜日

【日本の高度経済成長について全然経済学的でなく語ろうとすれば農地解放がその根っこにあるのだ編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

  幼い頃、ちと大きめの家に住んでいた。天井も高く、太い梁が通っていて、住む人は自然と声が大きくなるような、そんな広さだった。
 近所にはたけし君という子がいて、ちょくちょく遊んだ。図々しいガキだった私は、よくたけし君の家に行き、いない時でも勝手に上がり込んでこたつで漫画を読んでいたりした。
 しかし、たけし君が私の家に来ることは一度もなかった。
 たけし君のお祖母さんはよく顔を見せたが、それでも土間に入るだけで、履物を脱ぐことはなかった。長い話をするときでも、上がり框のような靴脱ぎに腰をかけるだけだった。祖母はかならず屋内で立ったまま応対した。
 幼く、そして鈍感な私はそれについて、何も不思議に思わなかった。
 たけし君の家が、元小作人であったことを知ったのは、成人してずいぶんたってからだ。
 祖母は、所謂「農地解放」によって土地を召し上げられたことをずっと怒っていた。土地に関わる話題がもちあがると、「まったく!GHQが!!」と関係なくとも吐き捨てるのだった。

2014年10月29日水曜日

【日本の高度経済成長について全然経済学的でなく語りたいんだけど編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

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そしていまや、経済学が人民の阿片なのである。愛国心がイタリアとドイツ国民の阿片であるのと同様に。
(ヘミングウェイ『ギャンブラーと尼僧とラジオ』)
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問題
・完全雇用の達成をはかり、国民の生活水準を大巾に引き上げること
・農業と非農業間、大企業と中小企業間、地域相互間ならびに所得階層間に存在する生活上および所得上の格差の是正

以上の二点に留意した経済政策を実施した国の名を挙げよ。

2014年10月23日木曜日

【ちょっとここでピケティがどんな批判にさらされたか振り返りつつ整理してみる編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 前回の続きで、今度はもう少し真面目なやつ。
 デロング教授によるピケティ批判の分析だ。
 その分析の前に、ピケティの本の要点について、すっごくわかりやすくまとめてくれている。やっぱ餅は餅屋だよね。
 

2014年10月19日日曜日

【ちょっとここでピケティがどんな批判にさらされたか振り返ってみる編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 とにかく未だブーイングの治まらぬピケティ周辺なんだが、どんなふうな批判があったか、ちょうどいいエントリーがあったので覗いてみたい。
What Piketty’s Conservative Critics Get Wrong
http://www.thebaffler.com/blog/what-pikettys-conservative-critics-get-wrong

 >You can see why conservatives are going to be enraged by this book.
「保守派がこの本にどれだけむかっ腹を立てたかご覧にいれよう」

2014年10月15日水曜日

【読んでなくても読んだフリくらいはできるわけで編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 ピケティへの批判が「すげーな」と思わされるのは、明らかに読んでない人が読んだフリして批判してるとこだ。なんだかわけのわからんやつが訳の分からん批判をしてくるようになったら、その論者は立派に「一流」の仲間入りをしたことになる。
 だいたいこの本がこんなに分厚くなったのって、考えうる批判に先回りして答えているからだ。
「アメリカの格差は所得格差だぞー、ヨーロッパの身分とかとごっちゃにしてないか?」みたいのは、アメリカ人は誰もが口にしたくなるみたいだけど、二章でたっぷり語られてるし。また、「日本には当てはまらないもん!」と叫んでる「三丁目の夕日」な人もいるけど、「それはこれから、いや今まさに起こってることなんだよ」ということ。あと、収穫逓減云々てのもちゃーんとケアされてるんで。

2014年10月11日土曜日

【アメリカの経済学者って編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 だいたいは読み終わってて、あとは著者の提言なんだけど、まあそれは置いといて、と。
 えーと、以前【まだ途中なんだけど感想を少し編】でもってこんなことを書いた。

>で、まだ最後まで読み切っていない段階でこんなことを書くのもなんだけど、ピケティは「マルキスト」というレッテルを避けるためか、わざと書いてないことがあるような気がする。
 二度の大戦後、経済格差が縮まっているということについて、ピケティはただ「そうなってるよねー」みたいに流している。ともすると、戦争があったからそうなったとも読み取れそうな文脈になっている。

2014年10月10日金曜日

【もうちょいで読み終わるのに翻訳が出ちゃったよ編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

21世紀の資本
「ミステリー原書で読むと訳が出る」てなことを言ってた人がいたと思うけど、誰だっけ。内藤陳 ではなかったと思う。まあとにかく、えっちらおっちら原書を読んでたら、みすず書房から翻訳が出ちまいやんの。四、五年あととか言ってたのになあ、と思ったら英訳からの重訳だとか。じゃ、買わなくていいな。

2014年10月8日水曜日

プレゼントは常にうれしいものとは限らないことについてPart.3

 二年前、中国の莫言がノーベル賞を受けたときにPart.1を書いた。ノーベル賞ってのは、必ずしももらった「国」がうれしがるとは限らない、て話。平和賞なんか、時々嫌がらせで出してんじゃないか、って思うくらいだし。どこぞの軍事独裁政権下の反体制活動家ってんならまだしも、EUとかオバマとかって、なんなんだ。もらった側の周囲に、少なからぬ波紋が起こることを見越して出してるよね。

 で、今回ノーベル物理学賞は日本人二名とアメリカ人一名の受賞と相成った。
 え、アメリカ人?て感じだけど、青色ダイオードの中村修二って、いつの間にかアメリカで市民権とってたんだね。

ノーベル賞:中村氏 研究の原動力は「怒り」

中村教授「物理学賞での受賞には驚いた」 ノーベル賞

2014年10月4日土曜日

おばあさんは何も言わなかったが少しこわかった「祭り」のこと

 明日は町内の祭りだとのことで、駅前の米店が車でアナウンスして回っていた。私が住むマンションはすっかり子供が減ってしまい、今年のこども神輿の出張は無しになってしまったそうだ。

 幼い頃、祖母に手を引かれて「祭り」に行ったことを憶えている。その日はなぜか、父母も弟らも祖父も伯父叔母もおらず、祖母と二人きりだった。祖母は、「近所の八幡さんでお祭りがあるで、連れてったるわな」と少しすまなそうに言った。別な町での祭りには行ったことがあったので、また浴衣を着て縁日を見て回るのだろうと、幼い私はうかれた。しかし、浴衣を着ることもなく、普通につっかけを履いて日の暮れかかった畑へと出た。畑を抜けると八幡神社の参道の横へ、いきなり出られるのだ。

2014年10月3日金曜日

かぼちゃほど重たくもなし我が想い

戦時中の標語
    一足先にハロウィンが来たわけでもないが、現在我が家には今カボチャが七個もある。どれも投げつけたら人を殺せそうな重量感だ。
 カボチャを切るのには、少しく覚悟がいる。包丁を入れたなら、とっとと食べ尽くさねばカビが浮く。青菜ほどに早くはないが、切り口にラップを貼って冷蔵庫に放り込んでおいても、白い種を囲むもずくのようなところからダメになる。冷蔵庫をあけるたび、「食らわんか、食らわんか」と脅されてるような気持ちになる。
 嫌いではないがそれほど好物でもないものは、料理するにも何となく後回しになってしまう。といっても、今から冬至までとっておくのも気の長い話だ。

2014年10月1日水曜日

『革命の子どもたち』の感想を書くにあたってベルトルッチをもう一度見る必要があったことについて


    先日『革命の子どもたち』というドキュメンタリー映画を見たのだが、この映画の感想をそのまま書くよりも、まずはベルトルッチの映画について書いた方が「急がば回れ」になるのではないかと思い、とりあえずDVDで『ラストタンゴ・イン・パリ』を見直した。最初にスクリーンで見てから二十年ぶりのことになる。(以下ネタバレ有り)