2015年10月28日水曜日

本当に忘れるためにはまず思い出さなくてはならないが何を思い出せばいいのかわからないということ もしくは『ルック・オブ・サイレンス』について


ルック・オブ・サイレンス』を見たのはしばらく前のことだが、なかなかエントリーにできなかった。これの前編にあたる『アクト・オブ・キリング』については去年エントリーを書いていたので、やはりこれについても書かなくては、とやや義務的なものを感じていたにもかかわらず書けずにいた。(以下ネタバレあり)

2015年10月27日火曜日

ピピピピピピピピピクニック!!

 下高井戸シネマに『ピクニック』を観に行った。
 動くバタイユを見るためである。(以下、ややネタバレ
 といっても主演のシルヴィア・バタイユではなく、その夫(当時)であるジョルジュ・バタイユ の方だ。

2015年10月26日月曜日

背中合わせのタンゴまたはアルゼンチンと日本の経済史を適当に比較する試みのつづき

アルゼンチン経済史 (1974年)
 (ラテン・アメリカ経済選書〈2〉)
 前回からの続き。

 アルゼンチンは一八九〇年の恐慌から一八九四年に回復基調に乗る。
 日本は一八九九年に第一次恐慌にみまわれる。「第一次」とは後になって名づけられたもので、もちろんその次がある。続く一九〇〇年には第二次恐慌が起こる。
 日本政府は増税し、大蔵省・日銀はともに緊縮財政をとる。その年さらに北清事変(義和団事件)へと出兵。戦費調達のために三度目の増税をする。
 一九〇三年からアルゼンチンは繁栄の時代へと入るが、日本は一九〇四年に日露戰争、かろうじて勝ちはしたが経済は安定感を欠き、一九〇七年にはまたぞろ恐慌となる。

2015年10月25日日曜日

背中合わせのタンゴまたはアルゼンチンと日本の経済史を適当に比較する試み

 クズネッツの有名なジョーク。「世界経済は四つのパターンにわけられる。ヨーロッパとアメリカと日本とアルゼンチンだ」
 ヨーロッパとアメリカはわかるが、なぜそれに日本とアルゼンチンがくっつくのか。それは日本が途上国から先進国にのしあがり、アルゼンチンは逆に先進国から後退してしまったからだ。そうした「境目」を越えた例は、今のところこの二国しかないという。
アルゼンチン経済史 (1974年) 
(ラテン・アメリカ経済選書〈2〉)

 そういえば『日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日』とかいう本があった。アルゼンチン政府が財政破綻したのになぞらえ、日本もそのうちそうなると脅した本だ。
 そんな風に比較される割には、アルゼンチン経済について知らないな、と思ったのでなんとなく経済史を比較しつつ、メモってみたいと思う。


ウーゴ・ディアスのハーモニカによるタンゴ

2015年10月24日土曜日

バック・トゥ・ザ・フューチャー!!未来に尻を向けてやれ


 二〇一五年十月二十一日は、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でもって、過去からタイムマシンがやってくるはずの日だったそうだ。こういうお遊びで盛り上がるというのは、割と嫌いじゃない。

2015年10月22日木曜日

家事は「仕事」か「労働」かもしくは人間にとって人間は「神」か「狼」か

エセー 6
    モンテーニュが結婚について述べた格言はいくつかあるが、その中で検索してもあまり引っかからないのに次のようなものがある。
…………
結婚というのは、《人間は、人間にとって》、《神である》か、さもなくば《オオカミだ》という諺にぴったりと当てはまるような契約なのである。
…………

2015年10月18日日曜日

家事は「仕事」か「労働」かもしくはヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」と料理について

    昔々、私が詰め襟学生服を身につけていた頃、ハウスのCMで「わたし作る人、ぼく食べる人」とやってたのが問題になり、放送中止となった。
 男女差別云々と解説されたが、正直当時の私には全く理解できなかった。ガキだったからねえ。
 しかし今思うに、「男女差別」というのは当時まだそういう言葉を当てはめるしかなかった、というだけのことで、本当は瞬間的に「かちーん」ときた、というのが理由だったんじゃないかと思う。
 じゃあ、何がどこに「かちーん」ときたのか?

2015年10月15日木曜日

家事は「仕事」か「労働」かのつづき

 先日のAERAの特集だが、例によって妻と夫の認識のズレが、「ほんまかいな」といいたくなるエピソードによって例示されていた。
 たとえば、夫が三時間かけて餃子を作り、それをFacebookにあげて“いいね”をもらってご満悦。それを見て妻がムカムカ、という話。
 いやー、三時間もかかる餃子って何が入ってるんだとか興味は尽きないが(皮から作ったって普通そこまでかからんと思うが)、それに対してムカつく妻にも「ほっといたれや」と思わなくもない。

2015年10月8日木曜日

にっぽんの病い(グロ注意)

 ノーベル賞で日本人の受賞が続き、さぞかしテレビではわいていることだろうが(テレビ見てないので知らんけど)、中国人で初めて科学分野で受賞した屠呦呦氏の功績がマラリアの治療薬だと聞いて、二、三思い出したことを書きとめておきたい。

2015年10月7日水曜日

勉強しなはれ勉強しなはれ勉強しなはれ♪

 マルクスとエンゲルスとレーニンの三人がインタビューを受けた。
 質問は「妻と愛人、どちらがお望みですか?」というもの。
 まずマルクスは「妻だ」と答えた。
 エンゲルスは「愛人」
 レーニンは意外にも「両方とも」と言う。
 驚いたインタビュアーが「なぜ両方?」ときくと、レーニンは笑いながらこう答えた。
「妻には『愛人の所にいる』と言い、愛人には『妻の所にいる』と言えばいいからね」
「で、独りになってどうするんです?」
「一に勉強、二に勉強だ」 

 これ、一応ジョークらしい。元ネタは、社会主義政権下で若者が何をすべきかと問われた時、レーニンの答えが「一に勉強、二に勉強だ」というものだったことからきてるとか。なんか元ネタがわかっても、どこら辺が笑いどころなのかさっぱりわからん。

2015年10月5日月曜日

本を盗むのはノーベル賞のなせる技?

《竊書(せっしょ)は盗みとは申せん……竊書はな……読書人のわざ、盗みと申せるか》(竹内好訳)
…………
 これは以前とりあげた魯迅の孔乙己(コン・イーチー)』の一節である。繰り返しになるが、「竊書」とは本を盗むことである。ハンムラビ法典に照らすなら、即座に死刑だ。
 魯迅による当時の中国社会の描写は適確であり、少なくとも、この程度のこそ泥の存在は許されてあったようだ。もちろん現行犯で捕まればひどい目に遭うが、それでも殺されるというようなことはない。そうしたことは、代表作『阿Q正伝』を見てもわかる。少なくとも江戸時代の日本よりは寛容なようだ。
 これは論語の影響だろうか?
「季康子患盗、問於孔子、孔子対曰、苟子之不欲、雖賞之不窃(季康子が盗賊を患(うれ)いて孔子に問したところ、孔子対(こた)えて曰うには、苟(いや)しくもわたしには欲などないのだから、賞(ほ)められても盗むことはないぞ、とのことであった)」など、孔子は盗みについて、ただ財産を奪う以外の意味を沿わせて語ることが多い。

2015年10月4日日曜日

目にわ目を!歯にわハニワ!!

    「目には目を、歯には歯を」という「同害刑法talio」で知られるハンムラビ法典なのだが、その実態は同害でも何でもなかったりする。
 時々半端にかじった人が、「ハンムラビ法典というのは、そんな乱暴な法律ではなくて、目をつぶされたら相手の目をつぶす以上のことはしてはいけないと、暴力に歯止めをかける法律なのだよ。ふっふっふ」とおっしゃってくれたりするが、読んでみると全然そんな大人しいもんじゃない。